眠られぬ真昼のために

非プログラマー。金属加工、夕飯のレシピまで、モノづくりは幅広く。

芸術と背景

芸術というのはその背景を理解してこそ見る味わいが深まるものである。

注意したいのは、芸術を評価する目というのは、裏データを知る必要がないことである。その作品は誰が作ったのか、どんな経緯で作られたものか、社会でどう受け止められているか、というデータを知ってから評価するのでは遅い。そういったものを一切捨て去ることが、芸術を見る審美眼であり、まさに抽象である。頼りになるのは、自分の感性だけだ。これをしなければ、芸術に触れる意味がないとさえ思われる。
—人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか / 森 博嗣 (via ebook-q)

デリ ヘル美の楽屋

芸術を評価するには、確かに自分の感性というものが必要だと思うが、裏データを知りつつ見るのと、裏データを知らずに見るのとでは全然趣が異なるのである。
印象派を見るにしても、ゴッホを見るにしても、仏像を見るにしても、それぞれポイントがあるのだ。
印象派が生まれた背景とそれが世界を征服していった経緯、ゴッホの独特の彩色と彼の病気、仏像の作り方の技術とそれの表しているもの、そんなものを理解せずにただサクッと見て表面をなでるだけ、そんな有り様で芸術を見よう、というのであればわざわざ芸術を見に「何々展に行こう」というのは単に金を溝に捨てて暇な時間を潰しているだけなのだ。

ま、Tumblrで書けよって話なんだが。