眠られぬ真昼のために

A型と言われるB型。コーディングから金属加工、夕飯のレシピまで、モノづくりは幅広く。興味の向くままに呟きます。

リスクコミュニケーション

オリンピックは東京には来ない。
オリンピックを東京に招致しようという運動があり、ブエノスアイレスで開催される国際オリンピック委員会総会を前に最終局面を迎えている。
最近、福島第一原発で汚染水が漏れる事件等があり、最終プレゼンテーションではそれに関する質問が相次いだという。
オリンピック記者会見 汚染水漏れの質問続出、海外記者「失望した」
オリンピック記者会見 選手らにも汚染水の質問相次ぐ
このようなコミュニケーションを行っていてはオリンピックは東京開催を避けるだろう。


安全だから国産の食料品を買う、という人は多い。
スーパーでものを買う時に、外国産を買うか、それとも国産を買うか。
外国産だと不安だから国産を買う。
さて、国産だから安全かといえば、そうとも限らないのではないか。
たとえば、国産牛というのは日本国内で飼育された牛のことであり、外国で生まれた牛でも国内での肥育期間の方が長ければ国産牛として販売される。
外国にいるならダメだ、というのであれば国産というものでも”安全”とは限らない。
また、飼料だってどんなものを使っているか分からないではないか。
国産、外国産どちらも餌などが一緒であれば大差ないと思う。
考えてないか、これまで明らかになった事件の比率が低いからか、そのために国産を選ぶのである。


安全と安心は違う。
安全だ、安全だ、と言って安心する人はいない。
データを示されないと安全だとは証明できない。
安全というのはデータに裏付けられたものであり、安心とは主観的なものである。
東京五輪招致委員会が言っているのは「安心してください」であって、「安全です」ではない。
安心してください、と言われるだけで安心する人はいない。
斯く斯く然々だから、というのをつけて初めて安心できるのである。


日本人はリスクコミュニケーションが下手だ、と思う。
リスクは0.001ではダメで、0じゃないといけない。
特に発生しうる高い害に関してはその発生確率を高く見積もる。
高く見積もるのは人間の認知として仕方のないことであるが、それの発生確率がそれでも低いにせよ日本人は叩く。
これくらいで妥協しませんか、というのは、原則的にない。
それは報道のあり方にも通じ、それがこの姿勢を助長しているのかもしれない。


Natureが編集委員のコメントを掲載したが、まさにその通りだと思う。
Natureから (内田樹の研究室)
もし安全だ、というのであれば、事実を示し、どういう風に対策を立てているのか明らかにすべきではないのか。